歌詞で読み解くリス子と思い出の理想の距離感

マロウブルー」 作詞:安藤紗々 作曲:村山☆潤

アイドリッシュセブンというコンテンツは、数字や色に非常に強いこだわりをもっている。
マロウブルー」は、曲タイトルや歌詞からもわかるように色にこだわっているようだ。

マロウブルー」は、第5部の劇中ドラマ「オーベルジュ -La Plage-」の主題歌として扱われる。
題材がレストランならではの、食事や景観の良さにまつわる、ドラマの世界観をストーリー仕立てる歌詞になっている。

突然訪れる別れの歌詞や、何度も聴きたくなる、ずっと聴いていたくなるピアノの美しい音色は第4部のラストを彷彿とし、自然と感傷に浸ってしまった。青のグラデーションの水彩画で描かれた背景に白い花びらが舞っているのが、とても綺麗なのに儚げで切ない。

村山☆潤さんは、アイナナということで7拍子にしたり、ピアノが印象的になるように作曲したそうで。

この曲が初披露された第5部では舞台「ゼロ」が主軸に置かれている。歌詞に登場する人物の形容表現はゼロ・九条鷹匡・桜春樹の関係性をちらつかせるものがあり、あたかも3人の物語をなぞるかのように行き場のない感情にけじめをつけていく。舞台「ゼロ」ではTRIGGERが見事に演じきり、アイドル新時代の幕開けを告げた。この「マロウブルー」ではアイドリッシュセブンの7人がその役目を果たしている。

歌詞をみていくと、夜明け・黄昏・星空といった移り変わる世界の色と、心の機微を書き並べて表現している。

1番の一緒に過ごした甘い記憶に、2番でほろ苦い思い出を何度も重ね、やがて違う色の自分になって前を向いていく。
いわば2番は、「マロウブルー」の色を変化させていく化学反応である。

今日も明日も変わっていく世界の色のように、気付けば彼自身も変わっていったのだ。

色を取り扱った歌詞だけあって、思い出の映像は鮮明にかかれている。時間をかけて、大切な場所で、何度も思い返したことで、思い出との距離がだいぶ近づいてしまったようにおもう。近すぎるとそこに留まっていたくて、そこから離れたくなくて、サヨナラを躊躇ってしまう。未来へ行くひとには、思い出との距離は、ほどほどってやつがちょうどいいのかもしれない。

以下、「マロウブルー」に登場する歌詞たち。

"弱気にはもうサヨナラ ふりむかない"
グラデーション、コンフィチュールのような外来語を除くと、カタカナ表記になっているのは"サヨナラ"のみ。カタカナ表記にすることで、垣間見える名残惜しさや、割り切れなさといった感情を抑えているようなお別れの印象を受ける。前と後に、弱気には ふりむかないとすることでより一層表現に深みを出している。

”そっと香りたつ切なさ” 
香りは薄れてゆくし、スッと消えてしまう儚さもあるが、記憶を呼び起こすきっかけにもなる。オーベルジュにぴったりな切ない表現だとおもう。

”渡せなかった花束”
祝福するアイテムの花束に、渡せなかったと付け加えることで、お祝いムードから一変して、深い悲しみと喪失感に覆われているであろうその姿はいたたまれない。
また、”渡せなかった花束”自体が置いていかれた人物の隠喩とも受け取れる。

”新しいぼくらへ変わっていく”
"ぼくら"としていることで、この曲を聴いたドラマの視聴者たちは、これはアイドリッシュセブンの、彼ら7人の歌なのだと現実に引き戻される。
残酷な世界の中で、何度も立ち塞がる困難によって変化せざるを得なかった彼らが、自らの意志をもって変わろうと歌う姿に目頭が熱くなる。
さらに、第5部を読んだ後になると、この"ぼくら"に私たちアイドルファンも含まれていることに気付くだろう。

最後に。
どうして、マロウブルーのメロディがとても心地良く聴こえるのか。
先ほど村山☆潤さんは7拍子にしたりと書いたが、歌詞もそれにならっていて、和歌の五七五七七にして"七"を織り交ぜている。
字余り・字足らずもあるがおおよそのリズムは五七五の自由律俳句になっている。

例えば、
【1メロ】五七五 五七五 五七五 七七 七五五 七五七 五五七七
【1サビ】 七七 七五 七七 七五

メロディに合わせて譜割していったら自然とそうなったのかもしれないが、1曲分の歌詞だけでは到底詰め込み切れないアイナナへの熱量を、"七"の音のリズムとして随所に散りばめようとしたのではないだろうか?