白水桜太郎 - 泡沫の蕾 の歌詞考察 〜" 折れた枝 "とは?〜
皆さん、こん肉は。
今回、白水桜太郎さん (以下:たろやん)がツキイチで手にした1曲目「泡沫の蕾」の歌詞に触れていきます。
( >> ツキイチとは。
以前、秋葉原ディアステージで月に一度開かれていた定期オーディション。審査員と観客の前で歌を披露し、最も票数を得た優勝者にオリジナル楽曲が提供される >> )
サブスク配信のリンク先と歌詞カードも載せておきますので、視聴&一読した上で読み進めていただきたい。
泡沫の蕾のメロディ、歌詞、歌声、どれも好き。
とても良い曲だけれども、靄がかかっていてはっきりと見えない。だから、気になる。全体像は見えるものの不明瞭でいて、なんともしっくりこない。こうなんじゃないのかなぁ、、、という1つの捉え方をここに載せます。
本題に入る前に、前置きを。
この曲はたろやんが「かーちゃんの曲を作ってほしい」と依頼したらしい。
せっかく勝ち取ったオリジナル曲なのだから、たろやん自身の曲を依頼すればいいのに、母の曲を依頼したらしい。親想いですね。
( ちなみに、たろやんはツキイチで3度優勝していて、1曲目は母、2曲目は父、3曲目は自分という親子三部作。 )
さーて、いっちゃいますか!
まず、タイトルの「泡沫の蕾」。
泡沫とは、
1. 水面に浮かぶ泡
2. はかなく消えやすいもののたとえ。
3. 2から派生して、短い時間を意味することもあるそう。
泡..、はかない...、消えやすい...、蕾...。
はてさて、なんのことやら状態ですね。
歌詞全体を見てみると、
1番では、身籠った母が我が子を慈しみ、
2番では、子の成長を見守り、未来へ送り出す様子が描かれている。
少し細かく見ていきましょう。
遠い記憶 季節外れの雪
3月中旬〜下旬頃でしょう、おそらく。( たろやんの誕生日3月21日 )
実際に、雪が降っているさなかに産まれたのかもしれない。
歩幅を合わせて進んでいく未来、みらい
今は一人沈み
出逢えるのを待ってる
あなたが過ごしてる
世界をあたためてる
ココねぇ、もう...大好きで... 。素敵だよねぇ...。
歌詞中には「花」「花びら」「枝」「蕾」「芽」と、植物に関するワードが出てきます。歌詞カードの舞っている花びらの写真や、3月下旬の時期からみてもそれは桜だとおもわれる。これらは、白水" 桜 "太郎を象徴するキーワードである。
これを踏まえて、問題はサビからなんですけど。歌詞に、" 折れた枝 " というワードが登場します。
3度あるサビで3回とも使われている非常に重要なキーワードです。正直なところ、あまり良い表現ではないとおもっていました。
さきほど書いたように、枝はたろやんを連想するイメージ。単なる枝ならまだしも、あえて" 折れた枝 " としているのが引っ掛かります。
どうして、" 折れた "とつけたのか...?
<1サビ>
ヒラヒラと落ちてくるあの花びらを
飲み込めたならいつか美しい蕾になれるの
<2サビ>
ヒラヒラと落ちてくるこの花びらを
飲み込めたならいつか誇れる自分になれるの
とあります。
文のつくりから、美しい蕾 = 誇れる自分。
それは理想の自分と置き換えていいでしょう。
既に咲いている桜は以前のたろやん自身で、そこから落ちてくる花びら。
散りゆく桜の花びらを飲み込むを、かつての自分を受け入れたら、これから先は新しい自分に生まれ変われる。と解釈します。
誇れる自分になる前は、自信が持てなかったかつての自分、ですね。
挫折とまでいかないにしても、誇れない自分がいたのかもしれません。
( >>そういえば、こんな話を思い出しました。
ディアステージに長く在籍しているベテランのたろやんですが、かつて店舗から離れようと関西に帰省したことがあるらしい。( 配信番組「夜はささくれ。」より)
このエピソードを指しているのかもしれないし、あるいは、ディアステージに所属する前のことなのかもしれない。 >>)
加えて、サビ前の
ふわりとしたところ、ゆらり、まわり、とけた
これ、雪の降る様を表していて。
しかも、降り方の特徴からすると、泡雪。泡沫の "泡" と掛けているんですよ。
さらに、桜の花びら舞う景色とも重ねている。
このヤバさ...、伝わってますか?
サビ前で雪が降った後、サビの"折れた枝"へと繋がるので、"折れた枝"というのは、
" 積もった雪の重みに耐え切れずに折れてしまった枝 " なんですね、きっと。
" 折れた枝 " の解釈と、曲名「泡沫の蕾」と合わせて、
枝は折れ、雪に埋もれつつも、顔をのぞかせる生命の芽吹く姿を、儚いながらも未来を望む新しい芽を、そこに見ました。
それと、年月の経つ表現も、好きなんですよね...。
赤子を身に宿しているときから、幼少期のときも、これから先の未来も、時が流れても我が子を想う母の愛は変わらない。
季節外れの雪を見るたびに、たろやんを思い返しているのかもしれませんね。
思ふ人 姿を借りて 恋しやと
云はしむるごと 春の雪降る
春の雪をみて、恋しい人への想いが募る女性の心を詠った、与謝野晶子の一句。
あとがき。
初聴きは生歌で、メロディからは球体の水中に浮かんでいるような、なにかに包まれているような懐かしさを感じました。
水面の嘘がはじけてく はじけてく
水面の嘘...とは...?
この表現もはっきりとしないのですが、泡沫に近いものの別の表現として、嘘をもってきたのかなと。はかなさを、泡ではなく、嘘で喩えた。
意味合いよりも、嘘の"虚"(うつろ)の視覚的イメージからかもしれない。